プチ同窓会
中学校時代の友達と一杯する機会があった。
当時の野球部仲間3人と私。
中学校の最寄り駅近くのこ洒落たイタリアンバル。
話は当然野球中心。
当時の練習内容等、理不尽だった頃の話で盛り上がった。
野球は宗教?
友人の一人は、当時の野球部顧問と数回会食をしたことがある。
その時、顧問へ切り込んだ質問をしたとのこと。
その質問とは、「何故、野球を教えてくれなかったのか。」
確かに、細かい技術を教えてもらった記憶がない。
当時は体罰が当たり前の時代。
ビンタを上手にかわす事を覚えたくらいだ。
さて、顧問の答えは、
- 「高校に行ったら俺が教えた野球がリセットされる」
- 「高校野球の監督は神様。教祖みたいなもの。」
- 「その教祖の教えに答えられない選手は消える。」
- 「だから教えない。」
- 「体力強化それのみ。」
それを聞いた私は、「なるほど」と思った。
突然監督交代
私は野球強豪高校へ進学した。
甲子園出場を目指して、苦しい練習に耐えた。
部員が各学年約25名。激しいレギュラー争い。
後に、ちょっとした不祥事があって、監督が解任された。
解任前の監督だったら、私はメンバー入り。
背番号はあった。
新監督になり、数か月経った頃には、私の背中にあったはずの背番号は外されていた。
新監督になり全てが変わる。
レギュラーも戦略も練習方法も。
ダイナミックに野球が変わった。
中学時代の顧問が「野球がリセットされる」と言った意味が理解できた。
監督も人間
当時の私は、新監督となった環境の変化についていくのがやっとだった。
営業マンならよく聞く、年度初めの「ゼロリセット」
まさしく、イチからアピール、そして信頼と実績を勝ち得なければならなかった。
新監督も感情を持った人間。
当然、好き嫌いもある。
高校生ながら、人間観察をした時期でもあった。
どちらもすごい指導者
中学時代の顧問は、ドラフト候補にあがる程の実力者。
教師になって野球を教える。のが夢。
なのでプロ野球のスカウトが来てもお断りしていたらしい。
夢を叶え、公立中学校の先生に。
前記した通り「野球を教えない」指導者であるにも関わらず、多数の強豪高校へ毎年選手を送り込む名顧問。
高校の監督が「どの様な練習をされているのですか?」と見学に来るくらい、地元では有名な顧問でもあった。
一方、私が高校時代の新監督と言えば、
選手として、そして監督として甲子園”優勝”を経験しているスゴい方。
そんな2人から私は、野球を教わった。
永遠のテーマ「指導とは」
中学時代の「だから俺は教えない」の「教えない」も指導。
一方で、高校時代の監督は、「基本に忠実な緻密な野球」を指導。
基本ってなに?緻密な野球って?と思われるだろう。
半端ないレベルで野球をするので、「基本的に緻密な細かい動きが出来る体力」が必要。
幼少期から、投げ方、捕り方、打ち方、走り方。
教えようと思ったらキリがない。
「教えない」も一つの方法かと思う。
その前に、体力強化。
ケガをしない体づくりを優先した方が、パフォーマンスが突然ある時期、一気に向上する。
現在、中学校の部活動より、クラブチームを選択する子が増えてきている。
選択は自由であるが、野球経験の無い中学校の先生が教える野球も面白い。
とある学校の先生がこう言った。
「野球を教える為に教師になった訳ではありません!」っと。
野球好きの母親達には不評だったが、私は、人間味溢れていて、逆にその先生を好きになり、興味をもった。
先生のおっしゃる通り。っと、心の中で拍手していた。
野球は暗黙の了解が多く、この場面は「送りバント」とか、どう考えても「スクイズ」とか、上げるとキリがない。
この先生の場合は、「教師」の立場から、日頃の学校生活を見て、技量より、性格を優先させて、次の戦術を練るタイプ。
より結果の出やすい、サインを送る様にしている。
失敗しても怒ることなど皆無。
それもそのはず。生徒の方が野球を良く知っている。
たまに、「勝ちたい勝ちたいオーラ」が全開。
勝った時は、生徒よりオーバーアクションする先生でもあった。
実に解りやすい先生だ。私は大好きなタイプの人間。
・野球を教えない体力強化のみの指導者。
・基本に忠実で緻密な指導者。
・野球を知らないからとりあえず「走っとけ」と言う指導者。
様々な指導者がいる。
私の様に、幼少期から技術ばかりに目を向けた指導者が増えないことを祈る。